2013年12月24日
想い伝えてきました。


子規記念博物館で天野祐吉さんのお別れ会が行われました。みかん一座のみんなの想いを持って出席しました。
新・道後寄席で母子梅を公演させていただいたのが、2010年の8月1日。みかん一座の誕生日の日でしたね。
天野先生からご依頼いただいた時は驚きました。
プロ中のプロの方々が次々にゲストで来られる中に、アマチュアの私たちなんてとんでもないことだと思いました。
でも先生のお話を伺って、私は公演をさせていただくことにしました。
天野先生は青春時代を松山で過ごされ、かもめ座という劇団で活躍されていました。そんな青春時代の親友、安西徹雄さんが亡くなられ、その追悼公演を地元のみかん一座でやりたい・・と。
天野先生の友を想う深い深い心に感動しました。
安西さんが昭和33年に書かれた母子梅という脚本を渡された時、私は二つの驚きがありました。
昭和33年は私が生まれた年。何とも言えないご縁を感じました。
もう一つの驚きは膨大な台詞。覚えられるのだろうか?
母の役だった私は、あの頃寝ても覚めても呪文のように台詞を口にしていました。
天野先生が稽古を見に来てくださる時は、恐くて恐くて。未熟な演技にダメ出しがたくさんあるに違いない!
でも先生は、温かい眼差しで見てくださいましたよね。
そして、みかん一座のこども達も出るのだから芝居の最後は歌と踊りにしよう!と、先生は歌詞を書いてくださいました。
その歌詞に曲をつけさせていただき、本番では賑やかに歌って踊りました。
天野先生は、安西もきっと喜んでるよ!
と、嬉しそうに笑ってくださった。そのお顔が忘れられません。
お別れの会で、あの時の天野先生の笑顔を思い出しながら、たくさんのことを教えてくださった先生に感謝の気持ちをお伝えしました。
みかん一座は故郷で、精一杯頑張りなさい!と、先生はいつも励ましてくださいました。
その言葉を胸に、みんな頑張りましょうね!
座長・戒田節子
Posted by みかん一座 at 01:42│Comments(0)